自己紹介

2012年1月13日金曜日


3국 녹색당 간담회 관련

최승구 선생님께서 애써 주셔서 3국 녹색당이 모이게 된 점을 우선 정말 감사드립니다.
시간은 1월 14일(토) 15시 ~ 16시 30분으로 알고 있는데,
시간 외 다른 사항에 대해 또 논의된 바가 있는지 알고 싶습니다.
이메일로 그날 논의 의제를 제안해 주신 것이 (1) 3국 간 토론 (2) 현안 지역의 문제에 대한 토론, 이렇게 두 가지인데...

우선 제 생각에 1월 14일 오후 3시의 그 일정에는 이원영 교수와 김혜정 위원장도 참석하시니,
한국, 일본, 몽골에서 쟁점이 되고 있는 지역의 현황과 이에 대한 시민사회 및 녹색당의 대응 상황을 공유하고
3국에서 어떻게 연대할 것인가를 이야기하는 자리면 되지 않을까 싶습니다.

그리고 이 토론회 자리 외에 3국 녹색당만이 모이는 자리가 있었으면 합니다.
이번 2012년은 전세계적으로 선거의 해이지요. 선거에서 탈핵(탈원전) 의제가 쟁점으로 부각될 가능성이 있는 곳도 꽤 존재한다고 판단합니다.
하여 동아시아 차원, 그리고 Global Greens 차원에서의 '탈핵(탈원전) 공동선언'을 채택하는 것이 어떤가 생각하고 있습니다.
이는 섬세한 작업이고 녹색당 차원의 작업이기 때문에 별도의 미팅을 제안드리는 것입니다.
그리고 한국에서 탈핵(탈원전) 운동 진영이 '핵없는 사회를 위한 공동행동'으로 묶이고 있는데,
정당에 대한 입장들은 서로의 이견이 많은 상황입니다. 선거 시기가 다가오니 여러 가지 민감한 부분들이 많습니다.
이 부분은 최승구 선생님과 이대수 목사님께서도 미팅을 arrange할 때 꼭 염두에 두셨으면 하는 바입니다.

대략적인 프로세스는,
(1) 우선 이번 일본 일정 중에 3국이 모여, '탈핵(탈원전) 공동선언 제안문'의 초안 또는 개요를 잡고,
(2) 이후 이메일 또는 1월 17~20일 한국 방문 기간 중에 다시 손을 보아
(3) 3월 11일 이전, 지금 생각하기로는 2월 중에 Global Greens 차원의 '탈핵(탈원전) 공동선언'을 채택할 수 있도록 제안하는 것..
을 생각하고 있습니다.

전세계적으로 탈핵(탈원전)에 대한 가장 확고한 입장을 가지고 있는 정치세력으로서 녹색당이,
자국내 탈핵(탈원전)의 문제 뿐만 아니라 원전 수출과 비핵화, 평화의 문제까지 "선명하게" 공동선언문을 채택하고,
이를 선거국면에서도 적극적으로 표명하면서 다른 정당들의 연대까지도 이끌어낼 수 있도록 역할하는 것이 대단히 중요할 것으로 보입니다.

따라서 위 붉은 색으로 쓴 부분을 작업하기 위한 3국 녹색당간 자리를 미리 제안해 주시면 감사하겠습니다.

음...그래서 궁금한 것이 있는데, 1월 14일 오후 3시 간담회 자리에서의 통역은 어찌 되는 것인지요?
저는 영어 listening은 그럭저럭 되는 편이지만 speaking은 자신이 없고, 일본어가 가능한 유학생 당원과 이대수 목사님이 참석하시긴 하지만..
몽골 Selenge씨도 영어로 소통을 하시는 것인지..


3. 1월 17일-20일 몽골 Selenge 방한

이 부분은 환경연합과 협의하여 준비하고 있습니다. 
생각하기로는 토론회 형식은 힘들 것 같고 다음 정도의 상을 가지고 추진 중입니다.

(1) 1월 17일 오전 인터뷰
 - 참여 : 녹색당, 환경연합, Selenge, 최승구
 - 주요 초점 : 이것은 Selenge씨와 최승구 선생님도 함께 의견 주시면 확정할 것이구요.
                     UAE와 몽골, 한국, 미국 등이 얽혀 있는 우라늄 및 핵폐기물 매장 관련 이야기를 초점으로 하면 되지 않을까 싶습니다.
 - 언론 : 민중의 소리, 프레시안

(2) 18일 기자 간담회 조직
 - 좀 더 확대해서 언론을 조직하는 식으로 추진 중입니다. 아직 불확실한 상황입니다.

음...그리고 중요하게 요청해 주신 사안 중 몽골 통역과 관련한 것인데, 결론적으로 구하기가 어려울 것 같습니다.
Selenge씨에게 양해를 구할 수 있을까요?
명시하여 요청하신 바인데, 각자가 개인적 인맥까지 동원해 보았으나 어쨌든 구하지 못하게 되어...정말 죄송합니다.

아울러 이 준비를 위해 필요한 정보들이 있습니다. 크게 아래와 같은 두 가지이겠는데요.

(1) Selenge와 최승구 선생님의 프로필
(2) 몽골의 핵발전 및 폐기물 처리 관련 현황과 몽골 녹색당의 정책 등

기자들의 섭외와 기획에 필요한 정보라서..
그리고 Selenge의 방한 일정이 1월 17일 오전 11시 50분에 인천 도착 / 1월 20일 오후 1시 30분에 인천 출발이 맞지요?

마지막으로 숙소의 경우, 저는 어떤 쪽이든 상관은 없습니다. 오피스텔 쪽도 오카다(岡田)집도 좋습니다.
그저 받아만 주시면요 ^^

일본은 이미 일정이 쉼없이 돌아가고 있을텐데 연락이 늦어져 정말 죄송합니다.
다시 답변을 기다리겠습니다.

- 이보아 드림 -

2011年6月7日火曜日

日本平和学会の分科会の発題の感想

                                    新潟のホテルオークラでの懇親会
「東アジア<共生>の条件ー『安全保障』の越境と転換」のパネラー        

6月4-5日の二日間にわたって新潟で日本平和学会が開催されました。200名くらいの参加者で、多くは研究者ですが、その開催場所の市民たちが参加するようになっているようです。学生が場内整理をしたり分科会に参加もしていました。アカデミックな雰囲気ですが、実践的な活動の報告があり、私がこれまで観た学会とはかなり趣が違っていました。知人も何人か参加しており、また多くの人の紹介を受け、懇談会でおいしい日本酒をいただきながら話しこみ名刺交換するという風情で、大変楽しい学会にださせていただき感謝です。

そもそも私を呼んでくれたのは佐々木さんという研究者で、彼は私の「在日」の生き方と地域社会との関わりを説いた論文を読み、心に留めてくれたようです。私は、初日の午後の分科会の発題者になり、<「在日」は今回の震災をどのように受けとめるのか><日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れるのか>というタイトルで、1時間話をしました。プロジェクターで資料などを見せながら、準備した原稿に沿って話をする予定でしたが、もうのっけから原稿なしでスライドを見ながらの話しで1時間になってしまいました。

私が発題をした分科会には20名弱くらいの方が来てくれたのですが、どんな人が私の話を聞きに来てくれたのか確認をしたいと思い、全員のお名前となさっていることをお聞きし、それを頭にいれて話をはじめました。研究者が三分の二という感じでしたね。予定が狂ったのは、「日立闘争」と「川崎のふれあい館」を知らない人が多かったということです。その説明を始めるうちに予定が狂いだしました。

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」代表の望月さんが私の20代から現在の65歳になるまでの原稿をデータ化してくださっていたので、それを10年ごとに分け、その時の私の問題意識と生活環境を説明することにしました。メカに弱い私がそのようなツールを使いながら説明できたのも、隣人の元SEがつきっきりで新しいブログ制作に関わってくれたので可能になったことです。本当にありがたいことです。

本名の読み方もわからなかった私が「在日朝鮮人としてどのように生きればいいのか」と問い、その答えを求めてきたのですが、整理してみると20代のころに書いたものと、今とほぼ変わらないことを書いていることがわかりました。その時は必死になって実感として感じたことを言葉にしていたのですが、実際の生活やさまざまな経験を通して、その言葉が自分のものとなるのに、40年かかったということでしょうか。大学生のころのもっとも生意気で、差別を研ぎ澄まされた感性でかぎ分けていたころを知る内海愛子さんには、昔の「迫力」がなくなっていると映ったようです(笑い)。

質疑応答の1時間は、私が民族や国籍を越えて、<協働>で日本社会を変革しようとよびかけたところ、ツィターで強烈な拒絶反応があり、「クソ朝鮮人!日本から出ていけ」と書かれたのですが、そのことについての感想をのべていただきました。詳しいことはまた報告します。懇談会で分科会に参加した人に感想をお聞きしたのですが、私の問題意識を正確に理解し、それをどのように受けとめればいいのかと考えていらっしゃるかたが大部分で、安心した次第です。

参加者の一人からこのようなメールをいただきました。
「崔さんのお話しを聞いていて、「共生」であれ、「協働」であれ、民族や性や 障害などを乗り越えて、住民一人ひとりが参画して政治を作り上げると いうこ とについて、理解が足らなかったなと思いました。例えば、君が代起立をめぐる問題であれば、「外国人がいるから君が代強制は いけない」ということだけでは、「日本人だけなら君が代強制してもよ い」と いう言説と親和性をもってしまうのではないかと思いました。もちろん、私はそ うは思っていないのですが、他民族との共生という課題が、自民族のあり方そのものを問う契機とならねばならないということを考えました。そういうわけ で、「一応」ではありましたが、討論者として分科会に参加 できてよかったです。ありがとうございました。」。
分科会に参加してくださった皆さんに感謝です。

後、二日間の学会で強く印象に残った点を紹介します。
1.自衛隊は11万人近く丸腰で被災地行っており、これは実説的な「軍縮」状態であるが、もっと人員を増やしてほしいという地元の要望にも拘らず、それは自衛隊の本来の任務ではなく、そのことを認めることは自衛隊のレーゾンデートルに係ることになり、自衛隊内部のフラストレーションはかなり高く、自衛隊の本来の業務が必要と国民に思わせるなにかが起こるかもしれない(沖縄大 前田哲男氏、私の質問に答えて)。

2.柏埼原発反対運動に40年以上関わっている矢部忠夫さんは、福島原発の事故があり、何が問題かということは明確になってきたのに、住民が変わらないのはなぜかわからない、という応えられたことに私は言葉を失いました。鎌田慧さんはカネの所為と話され、原発以外の「重ね合わせ」で地域の経済発展を求める「発想の転換」の必要性を最後に少し話されましたが、本当にこれはむつかしい問題だと、感じました。ウム、自立・自己責任ということもむなしいし、社会学的な説明をして提案はできてもそれを担う制度がなく、コミュニティが分断されていることを考えると、本当にむつかしい・・・

2011年6月3日金曜日

川崎市危機管理室との応答ーやはり危機意識に欠けています

川崎市総務局危機管理室
増子 講一課長へ

ご返事ありがとうございます。趣旨は理解しますが、私にはまだ緊迫感、危機感がないように思えます。地震はいつ来るのかわからないのですよ。

従ってやるべきだと思うのであれば、本当にそう思うのであれば、いつまでにどういうかたちで実行します、或いはしたいと思っていますという回答を期待したいですね。

私の意見は、増子さんのご回答の後にいれました。
よろしくご検討ください。

新しい川崎をつくる市民の会
事務局長  崔 勝久


2011年6月2日14:53 増子 講一 :

崔勝久 様

先日は、大変お世話になりました。
川崎市総務局危機管理室の増子です。

なお、先日のメールでの回答は、市長への手紙に寄せられた回答でございます。増子個人のメールアドレス宛に御質問がありました件につきまして、次のとおり回答させていただきます。


1.川崎の直下型地震が実は、川崎ではなく、東京の東松山(?会場での説明がよく聞き取れず)であったというご説明で、それは地震は面でとらえるべきだからという説明から推測すると、活断層が川崎にもっとも近い場所を選ばれたのではないかと思いますが、いかがですか。

(回答)
川崎市直下の地震の震源地は、武蔵村山市近辺と想定しております。この場所を震源地として選定した理由につきましては、ボーリング調査の結果等から地盤の状況と揺れの伝わり方を考慮し、国が南関東地域で今後30年間に70%の確率で発生するとしているマグニチュード7クラスの地震が発生した場合に、川崎市域に大きな被害を生じさせる震源モデルを設定したものです。なお、震源モデルの設定におきましては、学識経験者からなる川崎市防災対策検討委員会の意見等を参考に設定しております。


崔:どのような経過で川崎直下地震と言いながら、その地点を東京の武蔵村山市にしたのかは、理解しました。

2.しかし国の新しい耐震基準では、震源を特定せずに想定すべき地震動を基準として採用」しています。2000年の鳥取西部地震のように、全く未知の断層が動いて大きな揺れをもたらすケースがあったことが報告されています。そうすると、まさに川崎臨海部に大きな影響を与える直下地震は、川崎市が基準とした「川崎直下」とは違うケースも考えられるのではないでしょうか。私たちが恐れているのはまさにそのケースなのです。

(回答)
被害想定を行う上ではあらゆるケースが想定されますので、本市の防災対策に必要となる想定を今後検討してまいりたいと考えております。


崔:「今後検討する」というのは、いつ、どういう形でやるということですか、明確にしてください。

3.最悪のケースを想定した場合、川崎の被害状況はまったく変わってくると思われます。そのケースを学問的に検討し市民に発表すべきは川崎市ではないのでしょうか。しかし4月8日の回答のように東日本大震災対策本部事務局(総務局危機管理室)は、国による専門家の検証の「結果を結果を注視しながら、本市の地震被害想定調査や地震防災戦略などへの反映を検討してまいりたいと考えております」とあくまでも、市が主体的に調査し市民に安心させようという姿勢が見れません。市は独自に(あるいは横浜市と合同で)地震の最悪のケースの想定をする考えはないのでしょうか。検討の意思があるのであればそれはいつから実施されますか。予算にいつ計上されますか。

(回答)
御存知のように地震は広域的な被害が発生いたしますので、本市単独よりも近隣の他都市と連携して被害想定を行った方が効率的であると考えております。本市といたしましては、九都県市(埼玉県、さいたま市、千葉県、千葉市、東京都、神奈川県、横浜市、相模原市、川崎市)での対応とするのか、四県市(神奈川県、横浜市、相模原市、川崎市)での対応とするのかなど、現在はまだ決まっておりませんが、これら他都市との協議を進めながら、共通の被害想定の実現に向けて、検討してまいります。

崔:「他都市との連携」を川崎市が率先して求めるべきです。どこかから声がかかるのを待つというのではあまりにも消極的過ぎます。阿部市長が声をかけるのか、みなさんが呼びかけをするのか、呼びかけ主体と時期について御回答をお願いします。

4.災害対策とは、最悪のケースを想定しそれに耐える準備をすることです。たとえば、川崎区で火災の場合、運河に面しながら消防車も入れない池上町の場合、どのようなことを対策として考えて来られたのでしょうか。

(回答)
消防車が入れない場所で火災があった場合につきましては、あらゆる消防資器材を活用して消防活動を行ってまいります。
具体的には、消防車が進入可能な場所まで行き、そこからホースを延長する方法(数キロ先まで可能)、ポンプ車に代わるものとして可搬ポンプを現場まで搬送し、運河等の消防水利を活用して放水活動を行う方法、もしくは運河から消防艇を活用して消火活動を行う方法などを対策として考えております。

崔:これでは消防車が入れない場合も仕方なしと読めます。災害対策をやるというのは、長期的な街づくりと関係します。目先の対応でごまかさないで、市としては臨海部にある、危険な集落を想定外の地震がきても守れるような中長期的な対策を考えるべきだと思います。具体的なことは考えていないということですね。

5.最悪のケースを想定した場合、多摩川と鶴見川を逆流する津波によって川崎市が現在算出した1000戸の床下浸水とはけた違いの被害がでるものと推測されますが、いかがでしょうか。

(回答)
津波による被害想定をより厳しいものに設定すれば、そのような結果になるものと思われます。

崔:そうだとすれば、予測だけでなく、対策を講じるべきですが、あですか。


6.被害の想定ができた場合、行政と有識者に一般市民もはいり、その対策案を検討することを考えていらっしゃいますか。それとも市民の意見は聞き置くだけで、実際の検討のパートナーとする考えはないのでしょうか。

(回答)
本市では、自治基本条例の基本理念に基づいて、より一層、市民の市政への参加を推進し、行政運営の透明性の向上を図ることを目的に、同条例第30条に定められたパブリックコメント手続を制度化するため、「川崎市パブリックコメント手続条例」を制定しております。パブリックコメント手続とは、市民の生活にとって重要な行政計画、条例、審査や処分の基準(これらを政策等と言います。)を定める際に、政策等の案や関連資料をあらかじめ公表して、市民の意見を募り、提出された意見を考慮して政策等を定める制度でございます。現在の地震防災戦略を策定した際も、パブリックコメントを実施しておりますので、見直しの際も同様に実施し、幅広い市民意見を募集する予定でございます。


崔:これは市民の声を聞き置くという態度です。言いたいことがあれば言ってください、
どうするかは自分たち行政が専門家と相談して決めていきます、ということです。これは市民との対話ではありません。この点は、阿部市長も誤解されています。そうではなく、公募で市民を選び、有識者と行政、市会議員を入れて徹底した話あいの場が必要だと申し上げているのです。市民フォーラムでもそのような意見がでましたが、行政はどのように考えていらっしゃるのでしょうか。


以上、よろしくお願いいたします。


崔 勝久
SK Choi

skchoi777@gmail.com、
携帯:090-4067-9352
ブログ:http://anti-kyosei.blogspot.com/

2011年6月2日木曜日

原発と原爆は同じなんですね

原発と原爆は自分にとっては同じなんです、私はこの衝撃的な言葉を長崎で被爆した牧師から聞きました。放射線の被害を受けた民衆にとっては確かに、原爆も原発事故も同じです。しかしこのことは何を意味するのでしょうか。

広島・長崎の原爆投下は戦争終結という建前でアメリカが実行したものです。しかし戦争終結のためというのは口実で、実は、ドイツの原発開発に負けてはとアメリカで莫大な予算をかけて開発された原爆は、戦後の世界における支配力を誇示するにはなくてはならないものと判断されたのでしょう。アメリカは日本の無条件降伏を先延ばしさせる工作をして、原爆実験を敢行したとみるべきでしょう(鈴木真奈美『核大国化する日本ー平和利用と核武装論』平凡社新書 2006)。

被爆国の日本には核アレルギーがあったし、今でもあるのですが、アイゼンハワーの国連での「原子力の平和利用」の演説がきっかけになって、正力松太郎や中曽根前首相が先頭に立ち、「原子力の平和利用」の徹底的なキャンペーンを展開しました。しかしその底にいつか日本も核兵器(原発)の持つという強い意志があったかもしれないというのは誰も否定できないことでしょう。事実、ロケットの開発と核燃料のプラトニュームを作り出す原子力発電には長年、莫大な予算がつけられてきたのです。

3・11の地震によって原発の安全神話は完全に崩れました。原発事故が日本の国策による、意図せぬ原発投下と同じものであると仮定することは実に恐ろしいことですが、放射線の被害者の立場に立てばそうとしか言いようはないのでしょう。しかし敗戦による焼け野原から復興してきた戦後日本のあり方の象徴が原発であり、意図せぬ「原爆投下」であったのなら、そのような社会をつくり、それを容認してきた者、無関心で会った者にも責任がないとどうして言えるのでしょうか。

実はドイツにおいては、教会が第二次世界対戦のような社会悪を容認するばかりか自ら協力・推進してきたことを神の意志に反するとするキリスト者の真摯な自己批判(=「悔い改め」)があり、日本の教会もまたそれよりかなり遅れたとは言え、1966年に真摯な「戦争責任告白」をしました。そのような歴史をもつ日本の教会が、3・11という事態を目撃して、どうして徹底した自己批判と信仰的決断による「脱原発」の動きを全教会的に起こすことができないのでしょうか。

しかし、4月23日(土)、日本キリスト教会館で、宗教者による原発事故を知るフォーラムが開催され、それがきっかけになり、有志によって「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)の組織化がはじまりました(「脱原発フォーラム「原発事故について、テレビが教えてくれないこと」に参加して」)http://www.oklos-che.com/2011/04/blog-post_3425.html。私も参加しました。その流れがどのような質を獲得するのか、心したいと思います。

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)を立ち上げることの意味について以下のような論議がなされています(文責 崔)。

1.日本社会の中では圧倒的に少数者であるキリスト者であっても、信仰によって歴史・現実社会の中で生起した問題の意味を問い、集団のあり方とその中の個人の生き方を根底的に探り、求めることで社会に貢献できる。

2.戦後の日本社会は工業化と生活の豊かさを求め、戦前と同じく地下資源がないことを理由にして、平和利用なる美名の下で核兵器につながる原発の開発と貧しい地域に照準をしぼった建設を進めてきたが、その実現のために政財界、学界、マスコミを通じてのキャンペーンによって人心を惑わし、人間の手では使用済核燃料を最終処理できないにも拘らず、多くの現場労働者に被曝の犠牲を強いながら原発を建設し続けたことは、地域間格差、人間性の荒廃をもたらし、今回取り返しのつかない、いつ解決するかわからない大きな悲劇をもたらした、と私たちは今回の原発事故を捉える。

3.福島の原発事故は地震国である日本においては全国どこにおいても起こる可能性があり、放射能汚染によって住民に大きな犠牲を強いることになることを憂うために、私たちは早急に「脱原発」の方針を定め、新規の原発建設の中止、40年経った原子炉の廃止を求めるが、同時に、原発を平和利用なる名目で海外に輸出し、使用済核燃料を海外で破棄したり、ウラン鉱山の発掘で地元住民への加害者になっている現実を直視すべきであると認識する。

4.戦後日本社会の政治・経済・文化のあり方を根底から問う福島原発事故を目撃した私たちキリスト者は、何よりも自分たちも一緒になってそのような社会を作り出したこと、海外の人たちに犠牲を強いる加害者の立場になっていることを認め、神に許しを乞い、悔い改め、新たな信仰告白によって、イエスがそうであったようにいと小さき者への関心を持ち続けて日本社会の「復興」に取り組むことを決意する。そして被曝国であり、原発事故の当事者として世界に「脱原発」のメッセージを発信し、隣国韓国にも原発輸出によってアジアの加害者にならないように呼びかける。

5.このネットワーク参加の呼びかけに応じてくれる人は、教団・教派・組織の代表ではなく、あくまでも個人の信仰において参加していただく。

2011年5月31日火曜日

追加:川崎の研究用原子炉、大丈夫? 市民、隠せぬ不安 /毎日新聞神奈川版



「多文化共生」批判のブログの最後の記事を追加します。

ちょっぴり、自慢話。ブログの力もまんざらではないようです。
臨海部にある東芝の原子炉のことを伝えた内容が、週刊プレイボーイと週刊ポストの記者の目に入り報道されました(後者は未確認)。毎日新聞川崎版も市民フォーラムの翌日、取り上げています。「川崎市地震防災戦略」への疑問ー完全な危機意識の欠如」
http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/05/blog-post_4823.html

それはそれでいいのですが、いずれも市民の不安に足して情報開示が必要というところで終っています。しかしその東芝にビルゲイツが莫大な私財を投資し、日本は国策として、原発輸出の方針を変更しておらず、日本にあっては困る、市民が不安がる代物を海外に売ること、また使用済み核燃料を海外に持って行って埋めることに何ら言及していないのは、マスコミの姿勢として不十分だと思います。「福島原発事故の後は、世界は新たな原子炉に代るのか、それとも「凍結」するのか?」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_03.html


また川崎直下型の地震を3・11以前のデータから想定して川崎の被害状況予想とその対策を行政側が発表したことに対する批判がありません。直下型と言っても、その起点を東京に置いていたことも明らかになったのに、問題にしていません。その点については、「新しい川崎をつくる市民の会」は危機管理室課長あてに質問書を送っています。どのような回答がくるのか、それは新しいブログで公開します。「東芝「原発は経営の柱」(日経)、原発「なお有力な選択肢」(朝日)―これは許せない」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_15.html







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川崎の研究用原子炉、大丈夫? 市民、隠せぬ不安 /神奈川


 ◇市「安全問題ない」討論会で繰り返す、東芝に稼働連絡依頼

 東京電力福島第1原発の事故を受け、国の原子力政策への不信感が高まる中、川崎市にある研究用原子炉にも市民が不安を隠せないでいる。市は原発との規模の違いなどを説明して不安解消に努める一方で、施設側に対しては一層の情報開示を依頼。専門家も、その重要性を指摘している。【高橋直純】

 ◇臨界実験装置、年間60日稼働

 「東日本大震災級の地震があったら、東芝の原子力研究所はどうなるんですか?」。26日夜、川崎区の市労働会館。市の防災対策をテーマに、市民団体が緊急討論会を開催した。出席した市危機管理室の職員に対し、市民が相次いでマイクを握り、不安を訴えた。

川崎区浮島町にある東芝原子力技術研究所の臨界実験装置(NCA)では、原子力プラント用燃料の特性などを調べるための実験が行われている。1963年から運転を開始し、最大熱出力は200ワット。国の指針で、防災対策を重点的に充実すべき地域(EPZ)は半径100メートルのエリアで、研究所の敷地内に収まる。稼働日数は年間60日程度とされる。

3月11日の地震発生時は運転停止中で、その日のうちに東芝から市に「異常はない」という電話連絡があった。一方で、福島の原発事故が報じられる中、市民から「川崎の施設は大丈夫なのか」といった問い合わせが市に寄せられた。市危機管理室は今月18日、同研究所の立ち入り検査を実施。建物などに損傷がないことを確認したという。

「安全性に問題はありません」。26日の討論会で同室の職員は、NCAの出力が小さいことや、川崎で想定される津波が1・5メートルにとどまることを踏まえ、市民の不安を払拭(ふっしょく)するための言葉を繰り返した。

◇原子力防災専門官が常駐

 茨城県東海村のJCO臨界事故(99年)を受けて制定された原子力災害対策特別措置法に基づき、県は01年、防災拠点となるオフサイトセンターを川崎区日ノ出町に設置。緊急時の情報収集などにあたる国の原子力防災専門官が常駐する。

市はNCAから6キロ離れた市立川崎病院に、健康被害を抑えるための安定ヨウ素剤2500錠を用意。放射能汚染が起きた場合には同病院などで1次除染をすることになっており、事故を想定した訓練も実施している。

また、「原子力施設安全対策協議会」が年1回開催され、研究所の所長らが出席。市は施設の更新状況や実施実験などについて説明を受けている。

ただ、NCA稼働に際して事前連絡の取り決めはなく、大震災後の市民の不安を受け、市は東芝に対し、稼働前の連絡の可否について、検討を求めた。東芝広報部は毎日新聞の取材に「稼働時期は決まっていないが、する時には連絡したいと思う」と説明している。

麻生区出身の吉沢剛・東京大学公共政策大学院特任講師(科学技術社会論)は、かつて武蔵工業大などが同区内に研究用原子炉を設置していた当時を振り返り「研究所が何をしているかわからず不安に思う近隣住民もいた。施設側が積極的に情報を開示していくことが必要だ」と話している。

他の4施設は廃炉

 川崎市内では、東芝原子力技術研究所以外にも研究用原子炉が稼働していた。武蔵工業大(現・東京都市大)が59年に麻生区王禅寺に設置して以降、60年代に入ると日立製作所が同地区に2基、東芝が自社の工場が建ち並ぶ川崎区の沿岸部に、NCAを含め2基を設置した。原子力発電所建造のためのデータ採取やがん治療の研究などに使われてきた。

89年に武蔵工業大の原子炉で炉心タンクから冷却水漏れなどがあり、この年に運転を休止したまま03年に廃炉を決め、06年には使用済み核燃料の搬出を終えた。人口の増加に伴って不安感を訴える住民の声が強まる中、研究の目的も達したとして、東芝のNCAを除く他の3施設も廃炉を決定、07年までに核燃料の搬出を終えている。


毎日新聞 2011年5月28日 地方版

日本YWCAの「核」否定思想の紹介と、ブログ閉鎖の御案内

キリスト者平和ネット事務局代表の鈴木伶子さんからメールをいただきました。YWCAの一貫して「核」否定を主張されてきた歴史の一端を御紹介くださったものです。その日本YWCA100年史の主題が「女性の自立を求めて」であることに改めて納得しました。

原発は、形骸化した平和・民主主義、格差・差別の拡大、経済優先による環境破壊をもたらした戦後日本社会の象徴です。私は、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)を提案しましたが、それに誰よりも敏感に反応したのは鈴木さんをはじめとする女性でした。それがどうしてなのか、わかるような気がします。このネットワークについては改めて詳しく新たなブログで報告いたします。

2007年から続けてきました「共生批判」のブログは今日でもって閉めます。「多文化共生」が外国人との絆を強調しながら、実態としては、外国人住民の政治参加を認めず、地域社会をよくしていくパートナーとして受け入れずに「二級市民化」するものであるという私たちの指摘は続きます。上野千鶴子さんたちと一緒にだした『日本における多文化共生とは何か―在日の経験から』(新曜社 2008)や公にした諸論文、ブログの内容で、その点は十分に展開されたと自負します。

私のブログは全文日本語で書かれているにもかかわらず、世界20カ国以上で読まれていることを知り驚愕しました。通信とTwitter、Facebookで更新の知らせをしていることもあるのでしょうが、ブログを見て下さる方が広がり、勇気づけられました。感謝します。

しかし私は3・11以降、この日本社会のもつ脆弱性が誰の目にも明らかなように可視化されたと考えます。「多文化共生」批判のレベルではなく、マイノリティであるが故に感じ取れた視点を大切にしながら、改めて「原発体制」をつくりあげてきたこの戦後日本社会をどのように変革すべきなのか、それを地域社会での実践を続けながら思索を深め、今後は韓国との「脱原発」の連帯運動を模索しつつ、新たなブログを立ち上げます。勿論、これまでのバックナンバーは新しいブログで読むことができます。

新しいブログのタイトルは、オクロス(民衆)です。乞うご期待!

ながらくの御愛読、ありがとうございました。明日からは新しいブログでおめにかかります。 謝謝、再見。

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崔様

昨日、簡単にお話しした、日本YWCAが1070年から運動の強調点として展開した「『核』否定の思想に立つ」について、興味がおありかと思い、100年史の該当部分を切り張りしてお送りします。いま、新しい文章を書く気力がないのですが、私は関屋綾子さんの影響を受け、この核否定が自分の言葉になってきたと思います。

ただ、先輩たちが70年から声をあげていながら、今回の悲惨な事故に至るまで原発を食い止められなかったことは、本当に取り返しのつかない罪だと思います。

鈴木伶子 

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日本YWCA100年史―女性の自立を求めて 
第9章「『核』否定の思想に立つ (1971~1984)より

「核」否定の意味するもの1970年の全国総会で運動の強調点に掲げられた「『核』否定の思想に立つ」は、その後のYWCA 運動の象徴ともなる言葉であった1)。

強調点に「『核』否定の思想に立つ」を提案するときの趣旨説明2)は、人間の作り出した「核」エネルギーは、ひたすら軍事目的に利用され、強大な国が核を敵の絶滅を目的に、あらゆる知識と技術とを集約的に投入していると指摘し、「そのことに目をつぶって、原子力の将来を夢見ることはできない。それでは核問題の本質を理解することはできない」と核の本質に疑念を投げかけ、「人間の良心、人間を尊重する立場に立って、『核』を否定する一人ひとりの思想に立つ以外ない」と説明した。

日本YWCA は、現代文明全体が自分だけの強さや豊かさを求めて、人間を、地球を踏みつけ、大きな破局に至らしめる道を歩んでいるのではないかと考え、それをカッコつきの「核」として表現した。それゆえ、「『核』否定の思想に立つ」とは、「核」を頂点とした現代文明に否を言うことであり、自分たちの生き方を問い直す問題であった。その中には、当然、原子力発電が含まれていた。当時、「平和利用」の名でもてはやされていた原子力発電にも反対したことは、一般社会の認識を超えるもので、「YWCA の人は原爆と原発の違いが分かっていない」とも言われたという。

(略)

 「『核』否定の思想に立つ」という表現が分かりにくいため、1971年には学習が始まった。機関紙『YWCA』1971年5月号には、「人類は1日も早く『戦争の論理』を廃絶し、歴史の歯車を『平和の論理』によって動かさねばならない」(坂田昌一)、「核兵器を頂点とする種々の近代兵器の存在だけでなく、人間の生み出した科学・技術に立脚する文明がさまざまなマイナス面をあらわにし、それらが人類の伝統と繁栄を危うくしようとしていることが明白になった」(豊田利幸)などの文章が紹介された。6月号では、ヒロシマ・ナガサキをどう受け止めるかが特集された。

(略)

 1975年の時点では、「『核』否定の思想に立つ」を強調点として掲げつつ、具体的活動が展開できていないという報告が寄せられていたが、1976年には全国幹事会が、なぜ私たちは「『核』否定の思想に立つ」のかについて討議をし、各地YWCA でも取り組みが始まった。全国に先駆けて湘南YWCAは、市長選に積極的にかかわると同時に『ひろしま』副読本を市内小中学校に贈り、その後の活用状態調べも行った。

強調点「『核』否定の思想に立つ」の目指すものが明確になるにつれ、全国運動の展開も広がっていった。それは「ひろしまを考える旅」を手始めに、核実験・ベトナム戦争北爆・沖縄返還協定など、戦争につながるものへの抗議であり、自らを問い直す「私の履歴書運動」であり、憲法の理念、特に思想信教の自由を侵す違憲訴訟の支援であった。さらに、人間を非人間化する現代文明に抵抗し、弱い立場に置かれた人の人権の問題に取り組むことでもあった。

(略)

強調点委員会は、「『核』否定の思想に立つ」の展開として、核災害を起こす恐れのある原発に反対するためには、会員一人ひとりが、身の回りの小さなことから省エネルギー生活の実践が必要だと考え、自分のライフスタイルを問い直そうと呼びかけた。同時に電力消費量が急激に増大する日本社会に警告の声を発し、電力会社に原発停止を訴えた。また、「『核』否定の思想に立つ」は強さや力を目指す現代文明に抗することであると考え、弱者の立場に立とうとした。折から、靖国神社問題や教育の問題が起こってきていた。

しかし、信教・思想の自由や天皇制については、会員の考え方に幅があり、一致した行動は無理であった。そこで強調点委員会は、資料を提供し会員に学習を呼びかけた。また、強調点とキリスト教基盤の関連を繰り返し確認していく必要があると考え、キリスト教基盤委員会との合同委員会も開いた。

   日本YWCA100年史―女性の自立を求めて 

第9章「『核』否定の思想に立つ (1971~1984)より

2011年5月30日月曜日

俳優の山本太郎がプロダクションを辞めたという報道について

やっぱりと言うべきか、迷惑をかけたくないという理由で俳優の山本太郎は所属するプロダクションを辞めたそうです。プロダクション側はこれまで苦労して山本太郎を売り出したこともあり、複雑な思いでしょう。しかしここには日本社会の、世界に誇ることのできないある一面が現れています。

私が書いた「俳優の山本太郎、出演予定ドラマ降板に 反原発発言が原因か?」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/05/blog-post_27.html)は、統計がとられてからの2年間のベスト10に入る読者の関心を呼んだようです。

塩谷喜雄さん(元日本経済社論説委員)によると、政府はプラトニュームを生み出す原発は「平和利用」であって軍事目的ではないということを世界にアピールする必要があり、電力会社に原発を運営させる「国策民営」路線をとり、コストに一定の利益を確保した電気料金を設定させ、地域での独占を保障したのですから、電力会社は莫大な利益を上げ続けたのです。電力会社は原発の平和利用キャンペーンを張り、膨大な広報費を使い、「全国のテレビニュースが、電力の影響下にはいった」(『東電 福島第一原発事故を考える』、日本ジャーナリスト会議)そうです。

そのため新聞、週刊誌、テレビなどすべてのマスコミは原発批判を「自主規制」してきました。山本太郎が番組から降ろされた件も、恐らくだれもそのような指示をしていないと思います。すべて広告代理店、テレビ会社、プロデューサーはスポンサーである電力会社の顔色を窺って「自主規制」を行い、原発を批判する山本太郎を番組から降ろしたのでしょう。

これはマスコミにも責任があるというレベルの問題ではなく、一体、戦後日本はどのような社会であったのか、民主主義制度をアメリカから入れたが、形式的には代議員制度が地方自治にまで浸透したもののその実態はどうであったのか、地方の貧困という地域格差の問題は結局、戦後日本の経済復興を成功させた行政指導のあり方そのものが地方の疲弊につながる失敗の原因であったのではないか、金太郎飴のように地方の産業のあり方に方向を定め格差の是正をはかるその思想が、地方の自発的な産業を育てなかった根本原因なのではないかなど、検証すべき課題は多すぎるほどあります。

しかしそれは行政が悪い、政府の政策が悪いということではすますことはできません。国民主権が政党政治という枠の中でしか機能せず、代議員制度も硬直しています。そのようなとき、時代を切り開くのは市民の力でしかありません。自分自身が「生き延びるため」、
自分の家族を守るため、改めて自分の住む地域社会の変革に挑むしかないではありませんか。

山本太郎の降板についてそのプロデューサー、番組、スポンサーが明らかになれば関係者が立ち行かないようになるくらいの市民の見識と力は備わってきています。しかしその程度の認識と行動ではトカゲのしっぽ切りに終わり、本質的な問題は何も解決されないでしょう。「自主規制」を強いる権力もまたお金と直結しています。お金は生活と直結するため、
人はおかしいと思っても判断停止し、沈黙をするのでしょう。或いは権力になびくのでしょう。

そのおかしさを突破するのは、私ははやり「個の力」しかないように思うのです。私の言葉でいえば、「個の出発」です。マジョリティが作る社会構造から疎外させられ、そのおかしさを心底知るマイノリティの役割がここにあると思います。権利の要求にとどまらず、社会の変革に向けて働きかける責任がマイノリティにあると、私は思います。